「音楽に正解はないの?それともあるの?」現時点の回答
お疲れ様です! いきくんです。
今回は短い記事ですが、タイトルに対する現時点での僕の回答です。
音楽に正解はない?
よく、言われることですよね。
人それぞれ、好きな音楽は違います。
上手でも感動できない演奏や、下手なのに妙に心を打たれる演奏があったりします。
音楽にはこれと決まった正解はない。たしかにそう言えるかもしれません。
とはいえ、真剣にやっている側からすると、完全なデタラメを「でも正解なんてないから」とヘラヘラやられることが看過できなかったりする。
そこで、「いや、正解は無いかもしれないが(あるいはたくさんの正解があるが)明らかな不正解はある」という、なんとなくそれっぽい言い換えをしてみたり。
音楽における唯一の間違い
正直、ほとんどの場合、この議論自体に意味がないと僕は考えています。
イデオロギーの対立みたいなもんです。
(昔は、「正解がたくさんあるだけで不正解はある」派でしたが笑)
現時点での僕の答えはこうです。
「音楽における”唯一の間違い”とは、自分がそれを間違いだと思ったとき」
まあ、僕のアメリカでの先生の受け売りですが。
そのまんまじゃん!って思う人もいるかも知れませんが、たぶん考えているよりもう少しだけ深いです。
「間違えても堂々としてれば聞いている人にはバレないよ」という類の話ではありません。
バレます。
表面をどう取り繕うかではありません。
間違いを「認めなければいい」のではありません。本心から正解だと思ってやっているかどうかが重要です。
自分自身が、無知や強がりから来るものではなく、真に「間違いではない」と思っているのか。
それとも自分で自分を信じ切れていないのか。
信じるためには、それなりに裏付けが必要です。
だからこそ、勉強不足を自覚しているうちは、背伸びをしているうちは、この議論をする段階までまだ到達していません。
(もちろん、「音楽のすべてを知れ!」という話ではありません。自分の表現と裏付けのバランスの問題です。)
知識が重要なわけではありません。ただ、どれだけ自分は間違っていないと言い聞かせても、心のどこかで「もしかして違うかもな。実際勉強してないし。」という気持ちが生まれるようであれば、それは正解とは呼べません。
自分自身に嘘はつけません。
まったく同じ音を演奏していても、表現者自身がそれをどう捉えているかで聞こえてくるサウンドが変わるのです。
もちろん、これは半分はただの精神論っぽく思えたりもするんですが、一方、生演奏に限って言えば科学的な根拠もあったりします。
が、詳しい話はまた別の記事で。
今回はここまでです。